転職で成功した元サラリーマンの有名人
テレビでよく見かけるコメディアンや俳優のような有名人の方も元々は会社員だった人が多くいます。
そんな元会社員だった有名人の方がどのような仕事をしていたのかを調べてみましたので紹介していきます。
佐々木蔵之介/広告マン
大手広告代理店の大広で2年半勤務。「ますだおかだ」の増田英彦さんが同期だったことでも有名ですが、増田さんは入社して9か月ほどで退職し、お笑いの道へ進んだそうです。大広での仕事内容は明かされていませんが、よく会社近くのうどん屋でカレーうどんを食べていたとのことなので、内勤業務だったのかもしれません。
岡田圭右(ますだおかだ)/文具メーカー勤務
専門学校卒業後、文具メーカーのクツワに勤務。営業マンとして、積荷いっぱいに商品を載せた車で地方のお店を巡っていたそうです。お笑いへの道を目指し、1年経たずに会社を辞めることになりますが、ユニークな人間で通っていたらしく「売るのは結構イケた」とサラリーマン時代を語っています。
坂本昌行(V6)/旅行代理店勤務
20歳でジャニーズ事務所を一度辞め、旅行代理店に勤務。ツアコンや当時流行っていた「ねるとんパーティ」の司会などをやっていたそうです。1年半ほどサラリーマンを続けましたが、ある日KinKi Kidsの2人に会い、「坂本くんはいま何やってるの?」と聞かれ、答えられなかったことやテレビで見る先輩や後輩の活躍に「やはり自分が目指すところはここなんだ」と、ジャニーズへ戻ることを決意。復帰後は、少年隊の東山紀之さんの付き人も経験しています。
尾形貴弘(パンサー)/事務機器メーカー勤務
大学卒業後、事務機器大手のリコーに勤務。リコーといえば「中川家」の中川礼二さんが営業トップ賞を受賞するほどの辣腕営業マンとして活躍されていたことでも有名ですが、尾方さんがどのような職務についていたのかは明かされていません。
山口智充/家電販売員
高校卒業後、家電量販店のマツヤデンキに入社。売り場担当として、優良社員賞を受賞するほどの人気店員となったそうです。ミュージシャンになりたいという夢を叶えるために、2年半勤めた会社を辞めることにしましたが、退職後は音楽やお笑い活動をしながらイベント関連のアルバイトを経験。その後、宝塚ファミリーランドの社員となり、イベントプロデュースの仕事にも就いています。
福山雅治/電子機器メーカー勤務
高校卒業後、地元・長崎の電子計測器会社、システック井上に就職し、営業職の仕事に就いていました。4か月ほど勤務しましたが、音楽への情熱を捨てきれずに退職し、アイドルグループのバックバンドを目指して上京。東京ではピザ宅配や運送会社、材木店などでアルバイトをしながら音楽活動をしていたそうです。
加藤浩次/運送会社勤務
高校卒業後、西濃運輸の札幌支店に勤務。事務職を担当していたそうです。入社9か月で退職し、その数か月後には上京。劇団「東京ヴォードヴィルショー」の養成所、「闘魂塾」に入団されています。
Mr.マリック/ガス器具メーカー勤務
高校卒業後、ガス器具メーカーのパロマに入社。1年目の研修で色々な部署の業務を経験したそうですが、マジシャンへの道をあきらめきれず入社半年で退社。その後はマジックグッズの実演販売員となり、マジシャンへの第一歩を踏み出しました。
小木博明(おぎやはぎ)/テーマパークマネージャー
高校卒業後、オリエンタルランドに入社し、テーマパークのマネージャーをしていたそうです。ラジオ番組ではディズニーシーの幹部候補生だったと明かしています。その後、旅行代理店に転職。約1年間ハワイに滞在して旅行手配を行っていましたが、会社が倒産してしまい帰国。帰国後はタワーレコードに就職し、アメリカ本社への商品の手配などを担当されていました。
矢作兼(おぎやはぎ)/貿易会社勤務
高校卒業後、ビルのメンテナンス用品を取り扱う貿易会社に勤務。入社して数年後には、上海支店長を任されそうになったほど営業成績が優秀だったそうです。また、「揉め事があったら矢作を呼べ」と言われるくらい交渉上手だったという逸話もあります。
藤井ふみや/鉄道職員
高校卒業後、日本国有鉄道(現:JR九州)に就職し、鳥栖駅で半年見習い勤務の後、早岐駅輸送係として勤務し、貨車の連結、仕分け、その他ではブルートレインを連結していたそうです。
設楽統(バナナマン)/鉄道職員
高校卒業後、父親が西武長瀞ホテルの支配人だった縁で西武鉄道に就職し、西武池袋線の小手指駅で駅員として半年間ほど勤務しますが、お笑いの道を志して退職。退職後アルバイトを転々とした後に渡辺正行さんの付き人として芸能界入りされました。
出演したテレビ番組で駅員時代について振り返り、『ゆくゆくは地元秩父の観光事業に携わるという計画で西武鉄道に入った。そのまま辞めなかったら、地元でそういうことやっていたのかなって』と告白しています。
柴田恭兵/服飾関連
大学卒業後、服飾関連の会社で営業をされていたそうです。大学時代から役者を目指していた訳ではなく、当時付き合っていた女性との結婚を考えサラリーマンに。しかしその女性とは別れてしまい、社会人2年目で劇団『東京キッドブラザース』の東由多加さんに入団を誘われ、会社を退職し役者の世界へと進むことになりました。
大桃美代子/銀行員
短大卒業後、埼玉銀行(現:埼玉りそな銀行)に就職。1年程勤務しますが、自分のやりたいこととのズレもあり、葛藤も多かったそうです。結局、家族の反対を押し切り退職。その後は様々なアルバイトをするなかで、地元新潟のテレビ番組のアシスタントを経験し、タレントとして活動されるようになりました。
亜生(ミキ)/介護士
大学卒業後、静岡県内の介護会社に就職。利用者からの評判も良く仕事にやりがいを感じていたのですが、体力勝負なうえに人手不足で自分に余裕がなくなり体調を崩してしまったそうです。両親からも「次を考えたら?」と言われ、1年程で介護会社を退職。
兄・昴生さんが先に芸人になっていたこともあり自分も芸人を目指そうと思いますが、上岡龍太郎さんの妹である母親が芸人になることに反対であったため、転職活動で内定をもらったアパレル会社へ入社しようとします。しかし、どうしても芸人になりたいというモヤモヤした気持ちを捨てきれず、アパレル会社の内定を辞退し、芸人への道を歩むことになりました。
まとめ
今はテレビに出て成功している有名人の方も意外と転職経験者が多いですね。
夢を追いかけた結果、実際に「なりたい自分になる」ことができた転職成功者の経歴を見ると、あきらめなければ成功することもあるって勇気が湧きます。
人生とは何歳になっても何があるか分からないものです。
あきらめきれないものがある方は、転職が思いがけない転機となるかもしれませんよ。